【関西企業のDNA】70年超の太陽工業 (下)万博を経てさらなる成長 (4/4ページ)

70年大阪万博の建設工事が進む会場で。能村龍太郎は左から2番目(太陽工業提供)
70年大阪万博の建設工事が進む会場で。能村龍太郎は左から2番目(太陽工業提供)【拡大】

  • アメリカ館の模型を指しながら、屋根膜の製造に取り組んだ当時を振り返る薮野正年元専務=大阪市中央区
  • 太陽工業の枚方工場。アメリカ館や富士グループ・パビリオンなどの膜面構造物はここで造られた=大阪府枚方市
  • 糸川英夫(右)と話す能村龍太郎(太陽工業提供)
  • 太陽工業の膜面構造物を採用し、国内初のドーム形球場として建設された東京ドーム
  • 今年6月に20カ国・地域首脳会議(G20)サミットが開かれる国際展示場「インテックス大阪」の膜面構造物も太陽工業が手掛けた=大阪市住之江区

 昭和52年、龍太郎は会長に就任。太陽工業は各地で開かれるようになった博覧会の施設のほか、今年6月に20カ国・地域首脳会議(G20)サミットが開かれる国際展示場「インテックス大阪」など恒久的な建築向けの膜面構造物も手がけた。さらに70年万博から18年後の昭和63年、国内第1号のドーム球場である東京ドームが完成して以降、各地のドーム形の球場や競技施設にも同社の技術が採用されている。

 龍太郎が平成18年、腎不全のため83歳で死去するまでに、太陽工業は米最大の膜構造物企業、バードエアー社を子会社化し、「世界一のテント屋」となった。その後も英グリニッジに世界最大の「ロンドン・ミレニアムドーム」を完成させるなど飛躍を続ける。われわれに日々のエネルギーをもたらす太陽のように。