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日本のドラマは「言わない」 イノベーションには不向きな美学 (1/3ページ)

安西洋之
安西洋之

日本のテレビドラマを見ていると、その多くは「何か大切なことを言わない」ことがストーリーの軸になっている。

 好意を抱いた人間にその気持ちを伝えない、伝えられない。それで友人たちが先回りしたりしてお節介することで、事態が複雑になる。ここで物語が展開する。

 会社でトラブルがあって退職を余儀なくされたサラリーマンは、家族には何も言わず、毎朝スーツを着て出勤し続ける。だが、ある日、作業服を着てビルの清掃員として働いているところを偶然子どもに見つかってしまう。家庭騒動のスタートだ。

 重い病にかかり余命が限られていても、それを周囲には黙っている。「心配をかけたくないから」とひたすら1人で抱え込む。しかし、突然、本人は倒れて緊急入院。家族や友人が駆けつけ「どうして、黙っていたの?!」と問い詰めるところから、ドラマは新しいステージに移る。

 どれもこれも、主人公が言わない。または主人公の秘密を知った第三者が更に言わない。何もないように日常生活があることが優先され、日常生活を乱すことにはできるだけ蓋をする。

 言わないことによる緊張感があり、その均衡が崩れるところに驚きがあり、隠されていた事実が明るみになったことを踏まえて新しい生き方が提示される。

 人はこんなにも大事なことを言わないで生活しているだろうか、との違和感を抱くぼくは、日本のテレビドラマは結構イライラして見る。

 「じゃあ、見なきゃあいいじゃない」と言われたら、それもそうだが、それはここで問わない。

 それにしても、「言わないこと」は日本の文化の特徴なのか?

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