転職・起業

京大から猟師へ、野獣の命を食に わな猟師の生き方 (2/3ページ)

 千松さんは兵庫県伊丹市の兼業農家の生まれ。宅地開発が進むなかでも田畑はあり、子供のころ風呂はまきで沸かしていたという。「おーい、まきをくべてくれ」。風呂たきは千松さんの役目だった。風呂場からそんな声が飛ぶ家庭で育った。両親は犬や猫、ニワトリなどを飼い、千松さんもカエルやザリガニ、昆虫などさまざまな生き物を捕まえては飼育した。ヘビを飼い始め、祖母に縁起が悪いと大目玉を食ったこともある。「無人島での生活にあこがれたりもしました。自然の中で獲れるものだけで暮らせないか、なんて真剣に考えるような子供でした」

 高校時代は獣医を目指すことも考えたが、民俗学に興味を持ち京都大文学部に進む。京大まで出て何で猟師になったのか-。千松さんが受ける定番の質問だ。「『のに』ではなく京大に行った『から』、猟師になれたのだと思います。講義を聴くだけの大学だったら、会社員になっていたかもしれない。講義そっちのけで好きなことをしている人たちが多く、とても刺激的な学生時代でした」

 自由な学風の京大の中でも、さらに解放区のような吉田寮に住んだ。仕送りを断りアルバイトをしながら自活した。4年間休学してアジア各地を放浪し、東ティモールでインドネシアからの独立の是非を問う住民投票の監視活動をするNGOの活動に深くかかわった。「東ティモールのひとたちは国づくりに生き生きしていました。でも独立したら外部の人が居残ることはかえって迷惑になる。自分が住むべき所に帰ろうと思って京都に戻りました」

 あるときアルバイト先の運送会社に、わな猟をする社員がいると知った。弟子入りするように教えを請い、魅力にとりつかれた。偶然の出会いが子供のころの夢を開花させたのだ。初めて捕獲したのは大物のシカだ。バイクの荷台にくくって寮に持ち込みマイクで放送すると、寮生たちが包丁を手に集まってきた。たき火を囲んでシカ肉の大宴会になったという。「猟師になろうと思ったというより、やってみたらしっくりきたんです。それがいまも続いている」

 なぜ猟師を専業にしないのか-これもまたよく聞かれる質問だ。千松さんは猟師だけで生計を立てるとすると最低いまの10倍、100頭は獲らないといけないと計算し、こう話した。「自然界の動物は、他の動物に対してそんな殺し方はしません。他の人たちが食べる肉のために動物を殺すというのは、僕の生き方ではないのです」

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