転職・起業

京大から猟師へ、野獣の命を食に わな猟師の生き方 (3/3ページ)

 動物が好きだからこそ

 関西国際空港の連絡橋にタンカー船を衝突させた一昨年秋の台風は、京都市北部の山林にも大きな爪痕を残した。倒木など被害は大きかったが、猟師の千松信也さんは意外なことを言う。「人工林が倒された林業は大変でしょうが、里山の倒木は長いサイクルの中での変化にすぎません。木が倒れれば日当たりがよくなって育つ草もある。倒木に生えるキノコにとって3~5年間は、ボーナスタイムみたいなものでしょう」。裏山に散乱した木や枝はまきとなり、風呂を沸かしたり部屋を温めたりした。「これはまだ採りごろじゃないので少し待ちます」。倒木になめこが生えていたが、急いで採ることはしない。行楽で出かける1日限りの山菜採りではない。千松家の暮らしも、自然のサイクルの中にあるのだ。

 近年はイノシシやシカによる獣害が深刻で、街に現れるとニュースになる。しかし千松さんは野生動物がいない里山こそ、特殊な状況だったのではないかという。江戸時代は大規模なシシ垣を造るほど人間とイノシシがせめぎ合ったが、明治以降は山林利用や乱獲で動物は激減した。今度は里山が放置されたため、意図せず繁殖する環境が現れた。「いまは田舎でもまきではなくガスで風呂を沸かす。山と無関係になると人は途端に関心を払わなくなり、すぐ近くで暮らしている動物にも気づかなくなってしまいました」。自然を人間仕様に作り替える農林業と違い、猟師は気配を消して入る。わなをチェックするため毎日山に入る千松さんは、動物が踏んで位置がずれた枝葉など些細(ささい)な変化にも敏感だ。「ちょっと上着を脱いでいいですか。たき火のにおいがつくとまずいんですよ」。撮影で着用した狩猟用の上着を脱ごうとしたのは、においが動物に悟られるためだ。わなを仕掛ける前日はせっけんを使わず入念に体を洗うほど気を付ける。

 動物と対面するのは仕留めるときだけだ。イノシシは片足をワイヤにつながれながら牙をむきだして威嚇してくる。行動範囲を狭めるように誘導し、眉間を木の棒で強打する。またがっておさえ込み、心臓近くの大動脈にナイフを突き立てると血が噴き出す。「追いかけていた獲物が取れたときにはうれしい半面、愛着もあるんです。ごちゃごちゃ考えず作業を進めますが、いまも獲物を殺すことに感情の揺らぎがないわけではありません」

 スーパーで買い物客がパックの牛肉や豚肉を見て、その持ち主だった動物が命を絶たれたことを思うことはない。考えたくないことを考えずに済ませていることさえ、私たちは意識していない。千松家の冷凍庫のイノシシやシカを小分けした肉のパックには、捕獲日やオスメスなどの情報が手書きで記されている。命と食が直結しているのだ。動物が好きなのに猟師ができるのですか-千松さんはこの質問にはっきりとこう答える。「動物が好きだからこそ、殺すことを他人に任せたくはない。だから猟師でいたいと思うのです」と。

【プロフィル】せんまつ・しんや 昭和49年、兵庫県伊丹市生まれ。京都大文学部卒。4年間休学してアジア各地を放浪、東ティモールのインドネシアからの独立の是非を問う住民投票では現地でNGOの活動に参加。在学中の平成13年に狩猟免許を取得、先輩猟師からくくりわな猟を学ぶ。運送会社で準社員として働く一方、京都市北部の自宅を拠点にイノシシやシカを取り、スズメやカモなど野鳥も取る。川や海で魚を釣り、琵琶湖では投網でアユを取る。著書に「ぼくは猟師になった」「けもの道の歩き方」と、子供向けの「自分の力で肉を獲る」。

Recommend

Ranking

アクセスランキング

Biz Plus