ビジネスパーソン大航海時代

リーダーの伴走者は「総力戦で社会課題に挑みたい」~航海(20) (1/3ページ)

小原聖誉
小原聖誉

 ビジネスマンにとって自分が所属する会社が上場したらどんなに嬉しいことでしょう。特に取締役として経営に関与までしていたとしたら。今回は、その経験を経て、いまは企業やNPOなどの組織で社会課題に対して向き合う方々に向けてコーチングを手掛けているCarpeDiem社の海野慧さん(代表取締役)についてお話させてください。

 海野さんは大学卒業後に勢いのあったスタートアップに入社、希望して子会社であったじげんに配属されたのちに転籍。事業管掌役員となり東証マザーズに上場されたそうです。M&Aの買い手側もご経験し複数の子会社の代表も務められました。

 誰もが羨むキャリアを歩まれたわけですが、経緯を伺ううちに、そのジェットコースターのような人生に身が震えました。

 それではインタビューをご覧ください。

 「力を付けたい」からスタートアップへ

 海野さんはどのような生い立ちなのか。まずそれから紐解いてまいります。

 どのような子供時代を過ごされていたのですか?

 「父は大手のサラリーマン、母は主婦という両親でした。小さい頃は海外で暮らしており、日本に帰ってきた時には逆にカルチャーショックを受けるようなシーンもありました。中学高校は東京で、高校時代に『世界がもし100人の村だったら』という本に出逢ったことをキッカケに世界の貧困問題に関心を持ちました。将来は国際協力開発の分野で仕事をしたいと考えて、大学は京都の立命館大学の国際関係学部に進学しました」

 帰国子女だったのですね。大学時代はどのように過ごされていたのですか?

 「国際協力開発に関心があったため、国際機関や政府の取り組みはもちろん、国際経済や国際政治、地域経済の活性化などの分野を幅広く学ぶ機会を頂きました。そのため当時はビジネスやITにはまったく興味がなく、というか知らず、在籍していた学部の授業を企画運営する学生団体に参画したり、日米学生会議という学生団体に参画したり、NPOの活動に参画したり、海外留学をしたりと色々と手当たり次第動いていた感じがします。ただ学びを深めていく中で、既存の国際協力開発は大変重要であり意義深いものであるものの、調べれば調べるほどその難しさも感じるようになりました。そもそもの社会の仕組みを大きく変える為には大きく既存の常識やルールのシフトをしなくてはならないと考えるようになりました」

 なるほど。

 「当時はGoogleが日本でも普及し始め、Facebookが米国中心に流行り始めた頃であり、インターネットが世界のゲームチェンジを図る大きなトレンドになっていると感じておりました。また、仮想空間内でアバターを動かせるセカンドライフというサービスがブームになったタイミングでもありそのサービスを見た時に衝撃を受けました。そのサービス内では、例えば家を建てたりモノを売ったりするなど、経済活動を行うことが出来、仮想空間内のリンデンドルという通貨で取引をすることが出来ます。それだけなら大した話ではないのですが、リンデンドルが米ドルに換金できる仕組みがあったのです。例えば日本やアメリカの子供がお小遣いとして5ドル稼いだとすればそれはおやつ代くらいにしかならないかもしれませんが、バングラデシュの子供が5ドルを稼げたら家族の生活費になります。インターネットは従来の社会システムに依存せず、まさにフラットな新しいシステムを構築していくのに欠かせないプラットフォームとなると考え、インターネットとビジネスの文脈から世界の社会課題へアプローチすることが、世の中をよくするパラダイムシフトに活用できるのではないかと思いました」

 面白い視点ですね。それでITの世界に飛び込まれたんですね。

 「はい。前述のインターネットの可能性を知るキッカケとなったのが学生時代に参画させて頂きましたドリコムのビジネスプランコンテストのインターンシップでした。このインターンを通じてインターネットとビジネスの面白さと可能性に触れさせて頂き、その流れで就職を決めました」

 そしてすぐに現じげんである子会社に行かれたのですね。

 「はい。研修が終わって配属を決めるタイミングで希望を出して子会社へ出向致しました。ドリコムは当時急成長していて100人を超える規模となっておりました。ただより力を付けたいと思った際に、より小さな環境でより多くの裁量と責任を持ってチャレンジしていきたいと常々考えておりました。当時のじげんはドリコム社とリクルート社の2社のJVでもあり、新興ベンチャーとメガベンチャーとも言える2社のカルチャーを融合させた環境が魅力的でした。またスタートしたばかりで人数も10名いない規模でしたので、手を挙げてチャンスを頂きました」

 何もないスタートアップの世界からゴールを描いて上場へ

 子会社ではどのようなことに携われたのですか?

 「まず、営業職からはじまりました。ただ、当時は人も少ないのでなんでも屋になっていきました。経理も専任スタッフがいなかったので自分で売上締めたりですとか」

 さすがスタートアップですね(笑)

 「はい(笑)、でもこの経験から、いま無かったら自分でなんでもやるみたいな生き様が刻まれていきましたね。まさに裁量と責任を求めていたわけですし。最初特に大変だったのはそもそもの売上を作ることでした。当時はビジネスサイドの人員が新卒しかおらず、社会人成り立てのメンバーで何が売れるのかを試行錯誤する日々でした。とにかく新しい商品を企画して売りにいくもののなかなか売れなかったり売れても効果を期待値通りお返し出来なかったり。そこが非常に大変でした。新規事業も当時は10くらいあったものの、なかなか主要事業が立ち上がるまでは大変でした」

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