2020年はどういう年であったか。ぼくの感想と多くの人のそれは似たようなものになるだろう。それだけ世界の多くの人が同じような経験をした。いや、経験せざるを得なかった。グローバリゼーションとは何なのか、こんなにも肌身に感じたこともなかっただろう。同時に、物理的距離が近いことやローカルがどんなに大事なのかも。
そんな思いに耽っている時、リーマンショックのあった2008年、その年末にある人から言われたことを思い出した。次のような言葉だ。
人の生きる世界は日々の生活する世界だけでなく、その向こうにもう一つ別の世界があることをもっと認識すべきではないか、と。どんな不況であっても、予定されていた太平洋ヨットレースは行い、それを夢中になって応援する・・・そういうメンタリティが必要ではないか、と。
あの時の不況と違い、今回のパンデミックは人の物理的行動範囲を狭くせざるを得ない。そこで狭い世界、つまりは毎日の日常生活や家族、あるいは近しい人たちとのつきあいに焦点があたることになった。
12年前、日常生活とはまったく別物の世界に夢中になることを彼は説いていた。この部分をどう実現するか。それが今年の大きなテーマだった。結局、東京オリンピックは延期になり、多くのスポーツのゲームは観衆のいない場で開催され、スピーカーから観客の声援が聞こえない。楽しめることは楽しめても一抹の寂しさは否めない。
だが悲嘆ばかりしていても始まらない。よって、できるだけネガティブな部分は見ないようにし、ポジティブな部分を強調する習慣がつく。ただ、精神的無理は続かない。
だから、ここでは他の人と違ったことを書こうと気張らない。