クチネッリ氏が英国19世紀の思想家、ジョン・ラスキンの表現に惹かれているのも注目に値する。ラスキンはアーツ・アンド・クラフツ運動を率いたウィリアム・モリスの思想的先駆者にもあたる。産業革命によって引き起こされた社会的乱れに異議を唱えた人たちである。
実は、この2年間、ヨーロッパにいる新しいラグジュアリーを探る起業家やリサーチャーと話していて、彼ら/彼女らがほぼ共通してラスキンやモリスを何らかの指標として位置づけていると分かった。加えて、新しい道を探っている人たちに「ブルネッロ・クチネッリが一つのモデルになると考えますか?」と聞くと、これまたYESと即答がくるのだ。
もちろん、ビジネスとしての表現は人さまざまであろう。リサーチャーの結論も皆、同じになるとも思えない。だが、そうした人たちが少なくても視野のなかにラスキンやモリスを入れ、その21世紀版としてブルネッロ・クチネッリを近景においているのは確かなのだ。
それだけではない。アマゾンのベゾス氏やシリコンバレーの企業家たちもクチネッリ氏の経営姿勢には深い関心を抱いている。新しいラグジュアリーとITの役者たちが同じところを見ている可能性がある。(クチネッリ氏の経営姿勢には深い関心→【ローカリゼーションマップ】ベゾスを招いたブルネッロ・クチネッリ シリコンバレー長者と語ったこと)
というわけでクチネッリ氏の哲学はさまざまなところで存在感を発揮している。冒頭の友人は、イタリアでも10年前はファッション業界の人だけが知るブランドであったが、今は人間主義的経営を実践している企業として一般の人が認知していると語る。
最後になったが、訳者の岩崎春夫氏の「資本主義の使い方」を説いたあとがきも秀逸だ。むしろ本書はあとがきを読んでから、クチネッリ氏が農民の子として育ったエピソードを辿ると心に染み入るかもしれない。そして全章を読了して最後にもう一度、つまり2度、あとがきを読むのである。世に溢れる多くの(新自由主義的)資本主義批判にある空虚な部分を埋めてくれている。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。