ぼくがイタリアで生活をはじめた頃、ボスに「イタリアは先進国の顔をしたジャングルだと覚悟するように」と言われた。1990年のことだ。
長きフランコ独占体制がおわり、民主主義体制になったのが1980年代に入ってからのスペインの方が大企業進出が容易く、それと比べると同じ南欧のイタリアは「ややこしい(反社会的)事情」が多く、進出を敬遠することが多いと言われた時代だった。
ハリウッドのイタリア移民のさまざまな映画を観ても、それなりに想像できることだったが、あのスペインよりも裏事情が絡むというのは、イタリア初心者のぼくにはなかなか想像しがたいことだった。
イタリアの1970年代はテロ事件も多く、1980年代に入っても人々を震撼させることには事欠かないが、そうした社会が終焉に近づきつつあった1990年代、欧州連合の成立があらゆることを透明化するに貢献した。
1990年代前半、いろいろな役所仕事が紙で処理されていたので、窓口で延々と自分の人生を語る人が後を絶たなかった。とにかく論理と情が上手く説明できれば、役所の人間は「なんとかしてくれた」。
それが1990年代後半、EUの統一的な方法の浸透とともに徐々に情報がデジタルデータ化され、窓口の人間の一存で判断したことが後になって監督部署から追及される確率が高まっていく。それでも、表に出てこない事情は沢山あるだろうことはよく分かっている。
イタリアの昔語りをしたいのではない。
アフガニスタンの政権交代にまつわる多様な報告や意見を記事で読みながら、「この人たちの語りは、どれだけの理解に基づいているのか?」との疑問がどうしても離れない。