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アフガニスタンの現状に思う 全体像は分からずとも…見える“人の移動” (2/3ページ)

安西洋之
安西洋之

 1990年代であろうと今日であろうと、アフガニスタンが1990年以前の「イタリアはジャングル」以上のジャングルであることは想像に難くない。

 ぼくがおよそ30年イタリアで生活してきて、自分で確信をもって言える唯一のことは「誰も一人で、ある国の全体像とディテールを語れるはずがない」ということだ。

 外交官は全体のデータと政府や行政のトップの情報はある程度把握しているだろうが、田舎で生活している農民の生活感には疎い。農民の心情を感じ取れる人は、国の外交政策の背景を知らない。

 イタリアにおける異邦人によるイタリア像、イタリア人によるイタリア像、これらに接してきて思うのは、どれもが嘘のない現実でありながら、その現実は大きな現実の一片でしかないと痛切に感じる。

 それはジャングルだからではない。全体像とはそういうものだからだ。

 日本に限ったことではないが、日本(母国)で生まれ育ったからといって日本(母国)のことがすべて分かるとは決して言えないのは、日本(母国)にいる人はよくわかっている。

 それなのに、異邦人として外国に住んでいる人の当該国の話を結構簡単に信じ込む傾向にある。特に、アフガニスタンのような凄まじく「ジャングル」である国については、その振りは大きく、一度のインプットがそのまま生き続ける確率も高いはずだ。

 些細なことが大きく捉えられ無駄にエネルギーが使われ、大きなことが些細なこととして注意を払われない。

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