通勤車両では必ず立っていた一三
多岐にわたる分野で活躍した小林一三は、多くのエピソードを残している。たとえば、毎日新聞社の名物記者だった阿部真之助はこんな話をしている。
阿部は宝塚沿線の池田駅近くに長く住んでいた。池田は、一三が分譲した住宅地で、一三も自宅を構えていた。当時、新聞記者は、優待パスを箕面有馬電気軌道から支給されていた。まだ、そんなに乗客が多くない時代で、阿部たちは毎日、座って梅田まで通っていた。
一三は、毎日、車内では立っていた。
ある日、たまたま、電車が混んでいた時があった。阿部が座席に座っていると、一三がやってきて、「君、立ってくれんか」と言う。とっさに何を言われているのか分からなかった阿部が、なんでですか、と問うと、一三は、「君は只じゃないか」と返してきた。御本人が立っているのだから仕方がない、阿部はやむなく座席を立った。(『小林一三翁の追想』)
部下である岸信介との対立
昭和十五年七月、一三は第二次近衛内閣の商工大臣となった。一三の部下になった商工次官岸信介は、挨拶に赴いた。一三は、初めから、喧嘩腰だった。
「岸君、世間では小林と岸とは似たような性格だから、必ず喧嘩をやると言っている。しかし僕は若い時から喧嘩の名人で、喧嘩をやって負けたことはない。また負けるような喧嘩はやらないんだ。第一、君と僕が喧嘩して勝ってみたところで、あんな小僧と大臣が喧嘩したといわれるだけで、ちっとも歩がない。負けることはないけれど、勝ってみたところで得がない喧嘩はやらないよ」(『岸信介の回想』)
一三にも、初の入閣という事態に対して、かなりの気負いがあったのかもしれない。岸が商工省きっての切れ者、実力者であるという認識も、その口吻に影響を与えたかもしれない。岸の、一三に対する評価はかなり厳しい。
「小林さんはなかなか鋭いけれど、たとえば電気の問題でも、この電信柱は背が高すぎるから切ってしまえとか、電気の本質そのものを問題にするのではなくて、それに関連のある問題について、すぐ処置するという傾向があった」(同前)と、指摘している。
大戦下、商工大臣だった岸は、東條内閣を倒閣するために辞表の提出を拒んだ。戦前の内閣制度では、閣内不一致の場合、当の大臣が自主的に辞表を出さないかぎり、内閣は倒閣してしまう。憲兵隊による執拗(しつよう)な脅迫に対して岸は屈することをせず、東條内閣を総辞職に追い込み、終戦への道筋を作った。この功績は、岸信介にとって安保改定と並ぶ、あるいはより巨きな功績といえるだろう。
岸は一三にとって敵視するのではなく、懐に入れて働かせるべき人物だった。その岸を、一三が認めなかったのは、残念至極である。
昭和二十六年、民間放送が認可されて、ラジオ東京(現在のTBS)が発足した時、その運営にかかわることになっていた毎日新聞社専務の鹿倉吉次は、一三に相談した。一三の反応は、思いがけないものだった。
「アメリカでは、商業放送がたいへん発展したのは事実だ。だが、日本では、すでにNHKがあるから、聴取者は、広告放送をきかない。だから成功するはずがないから、止めた方がいい。NHKを分割するならともかく、他に作るのは賛成できない」
鹿倉は、すでに約束したことなので、と謝意を述べ、一三邸を去った。数年後、一三は、鹿倉の家を訪れ、頭を下げたという。
「今日は君に謝りに来た。ラジオに対する見通しを完全に間違えていた、今日はその取り消しにやってきたのだ」(『小林一三翁の追想』)
驚くほど扱いが小さかった訃報記事
小林一三は、昭和三十二年、一月二十五日午後十一時四十五分、急性心臓性喘息により逝去した。八十四歳であった。前年夏から心臓が弱り、一進一退を繰り返していた。調子のよい時期もあって、何度か上京もした。
新聞の扱いは驚くほど小さかった。せいぜい五、六百字程度の記事である。鉄道経営や、住宅、百貨店、舞台興行などへの貢献の大きさには釣り合わない。告別式は一月三十一日、宝塚音楽学校葬として行われた。
弔辞は石橋湛山総理の代理の平井太郎郵政大臣と天津(あまつ)乙女が読んだ。この日、病気療養中の石橋は岸信介外務大臣を総理大臣に指名し、小林の仇敵に宰相への道を開いた。
小林の墓は池田の大広寺にある。応永年間に創設されたこの古刹は、代々池田城主の菩提寺であった。閑静な境内の奥、多竹林に囲まれた一角に、小林と妻コウの墓が建っている。地にほどよく苔がついていて、丹精が絶えていないことが窺える。独創と熱心と緻密により、文化と理念と希望を生み続けた人にふさわしい。
「この世の中に私ぐらゐ幸運な人はあるまいと信じてゐる」(「私から見た私」)と書いた男が、そこに眠っている。
福田 和也(ふくだ・かずや)
作家
1960(昭和35)年東京生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。同大学院修士課程修了。慶應義塾大学環境情報学部教授。『日本の家郷』『教養としての歴史 日本の近代(上・下)』『人間の器量』『死ぬことを学ぶ』『昭和天皇』『〈新版〉総理の値打ち』等、著書多数。
(作家 福田 和也)(PRESIDENT Online)