その後も工作機械、複写機、ファクスなど多分野に参入。昭和61(1986)年には世界初となる「ゲームソフト自動販売機」を発売し、話題を集めた。
これは電話回線でデータセンターからゲームを送信し、顧客が持参したフロッピーディスクに書き込むというもの。インターネットでダウンロードする現代のゲームを先取りしたかのような商品だったが、販売は低迷し、撤退した。
失敗は次に生かす
名古屋市内の本社に隣接する「ブラザーコミュニケーションスペース」には歴史を刻んだ数々の商品群が並ぶ。同社OBの田口文男館長(62)は「事業内容がどう変化して生き延びてきたかを伝えられたらと思っています。さまざまな事業で、もう先がないと冷や冷やしたことも何度かありました」と話す。その上で「失敗したものを必ず次に生きているのが特徴」と強調する。
例えば、複写機の技術はファクスに応用。平成4(1992)年に米国で発売した「FAX-600」の価格は、当時の相場の半額という399ドルに設定。