初公開された「ななつ星in九州」の車両前で記者会見に応じる水戸岡鋭治氏(左)と唐池恒二氏。2人の思いが結実した=平成24年9月13日、小倉総合車両センター(安部光翁撮影)【拡大】
唐池に構想を持ちかけられて1週間足らず。水戸岡は豪華寝台列車のデッサンを描き、唐池の元に持参した。これには訳があった。
唐池は、用意周到に物事を進める人物にみえるが、鉄道にロマンを追い求める少年のような一面もある。その壮大な夢に社員はついてきてくれるのか。唐池一人が会社で浮き上がってしまわないか。もし失敗したら…。そう危惧した水戸岡は「唐池さんと社員の“隙間”を埋めなければならない。デザイナーである私が具体的なデッサンを描くことこそが“隙間”を埋める早道じゃないか」と考えたのだ。
持参したデッサンは、完成したななつ星の車両に限りなく近い出来映えだった。その後も水戸岡は、節目節目で外装や内装などさまざまなデッサンを示し、唐池と社員の隙間を埋め続けた。
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唐池も、唐突にななつ星を思いついたわけではない。20年以上も温めてきた構想だった。
国鉄が民営化し、JR九州が発足したのは昭和62年。その後、数年間は日本中はバブル景気に沸いた。博多・中洲のクラブやラウンジでもドンペリが次々に開けられた。そんな喧噪(けんそう)の中、唐池は知人にこう言われた。
「九州を一周する豪華寝台列車を走らせたら、当たると思いますよ」
この知人は、列車で古本を売る「古本市列車」などユニークなアイデアを、30代半ばだった唐池に授けてくれた人物だった。頼りにしてはいたが、豪華寝台列車はさすがに無理だと思った。経済性やスピードが何より重視された時代。ゆっくりのんびりと列車で巡る旅が、人々を魅了するとは思えなかったのだ。