初公開された「ななつ星in九州」の車両前で記者会見に応じる水戸岡鋭治氏(左)と唐池恒二氏。2人の思いが結実した=平成24年9月13日、小倉総合車両センター(安部光翁撮影)【拡大】
豪華寝台列車を実現するには経営陣による幹部会議で、了承を取り付けなければならない。密かに試算したところ、豪華寝台列車への投資額は30億円。これに対して年間売上高は5億円に満たない。
「相当な覚悟で臨まないと潰されるな…」
そう思った唐池だからこそ、古宮を同行させたのだ。社内の誰よりも車両や運行ダイヤに詳しい古宮は「運輸事業として成り立たない」と、反対の急先鋒になることが予想された。だが、味方にすればこれほど心強い男はいない。
唐池は、ヘラン号に乗車した夜、車内バーに古宮を誘った。月明かりにうっすら照らされた車窓を眺めながら、他の乗客は静かにワインを楽しんでいた。唐池は狭い車内で古宮と膝をつき合わせた。
「これからの鉄道は単なる移動手段ではなくなる。鉄道そのものが観光目的となり、街作りの核になるんだ。そんな観光列車を作りたい。手間をかければお客さまは来てくれる。手間こそが感動を呼ぶんだ…」
確かに、1泊2日で15万円という高価な旅にもかかわらずヘラン号は中高年夫婦で満員だった。古宮はこう言った。
「ようするに、乗車率を上げる努力をすればよいのですね…」
唐池はこの言葉に深くうなずき、1カ月後、古宮を営業部長に据えた。ななつ星プロジェクトの中核部隊だ。直後に開かれた幹部会議では、古宮が「レールクルーズプロジェクト」(仮称)を発表した。
そして「きちんとコストを精査したのか」などと古宮に一番厳しく詰め寄ったのは、唐池だった。
九州新幹線の全線開業を無事に果たした2カ月後の23年5月、JR九州は豪華寝台列車実現に向け、本格的に動き出した。唐池は、部局横断で精鋭30人を集めた「レールクルーズ創造委員会」を発足させた。
だが、本当の生みの苦しみはここからだった。
(敬称略)