初公開された「ななつ星in九州」の車両前で記者会見に応じる水戸岡鋭治氏(左)と唐池恒二氏。2人の思いが結実した=平成24年9月13日、小倉総合車両センター(安部光翁撮影)【拡大】
そのころ、JR九州の初代社長、石井幸孝(81)は、赤字ローカル線に観光客を呼び込む起爆剤にしようと、観光列車に力を入れていた。第一弾は平成元年に導入した「ゆふいんの森」(博多-由布院-別府)だった。水戸岡がデザインした眺めのよいハイデッカー構造の車両はバブル景気と相まって好評を博し、由布院ブームを巻き起こした。
唐池は「ゆふいんの森」プロジェクトに営業本部販売課副長として参画した。そこで学んだのは「鉄道は単なる移動手段ではない。乗車そのものが観光目的になる」ということだった。
JR九州はその後も「はやとの風」(平成16年導入、鹿児島中央-吉松間)、「海幸山幸」(21年導入、宮崎-南郷間)など観光列車で次々にヒットを飛ばした。沿線では、自治体や住民がさまざまな観光事業や街おこしに乗りだした。
「観光列車が地域の街おこしの役に立つのか。列車もそうして育つんだ」
唐池には新鮮な驚きがあった。そして21年6月、社長に就任した唐池の脳裏に、四半世紀前の知人の言葉が蘇った。
「豪華寝台列車が九州を一周するようになれば、どれだけ多くの人々が喜び、街が輝くだろうか…」
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