このころから、増大する航空需要を支え、伊丹空港周辺の環境問題も緩和する空港として、新空港整備の必要性を説く声が強まった。平成6年に大阪・泉州沖に関空が開港すると、伊丹空港の国際線は関空に移管された。
屋台骨支える
だが、関空は開港後、交通の不便さなどで利用が想定ほど伸びず、建設のために抱えた巨額の負債に悩まされた。
その一方で京阪神都市圏のほぼ中央に位置する伊丹空港は、交通の便も良く、比較的堅調な業績を維持した。このため「伊丹空港の利益による関空の負債補填を狙い、一体経営が模索された」(別の業界関係者)。
24年には新たに発足した新関西国際空港会社のもとで、伊丹空港と関空の経営統合が実現。伊丹空港は、新関空会社の屋台骨を支える存在となった。
伊丹空港では25年から、旅客数を増やすため、段階的にプロペラ機発着枠を低騒音ジェット機枠に切り替えているほか、駐車場の有効活用も検討している。