開発が始まったのはリーマン・ショック翌年の2009年。不況と円高で中小メーカーが苦しむ中、東大阪の町工場が人工衛星「まいど1号」を打ち上げたニュースを知った杉野ゴム化学工業所(葛飾区)の杉野行雄社長が「大阪が空なら、東京は海だ」と即断。その話を聞いた東京東信用金庫の支店長が芝浦工業大学と東京海洋大学、海洋研究開発機構を紹介したことで、プロジェクトは動き出した。
1万メートルを超える水深に耐えられる大型探査艇は国内にもあるが、使われているのは外国製の部品ばかり。杉野氏は「中小企業のフットワークの良さで国産化できないか」と考えた。
板金加工の浜野製作所(墨田区)、電子機器開発のツクモ電子工業(大田区)、自動車部品開発のパール技研(千葉県白井市)が参加。岡本硝子(千葉県柏市)がガラス球を提供した。