播磨灘を望む兵庫県明石市江井ケ島の住宅街に、忽然(こつぜん)と現れる明治時代の木造の清酒蔵群。中には、れんがの壁で囲われた白壁の洋風建築やウイスキー蒸留所がある。年間総販売量3400キロリットルの小規模ながら、総合酒類メーカーの看板を100年以上にわたって掲げ、近代酒造史の荒波を生き残ってきた江井ヶ嶋酒造(平石幹郎社長)だ。
◆分野にこだわらない
8代目の平石幹郎社長は、地元旧家の出だった創業者の子孫として、大学卒業後の1974年に入社。「うちは小さいながらも総合酒類メーカー。日本酒も梅酒も焼酎もみりんもウイスキーも造る」と話し、「分野にこだわらないことが、長く続けてこられた理由かもしれない」と振り返る。
創業は1888(明治21)年。家内工業の小さな蔵元が多かった当時としては非常に珍しく、住民から出資を募り、株式会社としてスタートした。95年に現在も有名な清酒「神鷹」を発売。4年後の99年には全国に先駆けて自社工場で瓶入りの日本酒を開発し、清酒界のシンボルとして普及させた歴史ある会社だ。
日本最古のウイスキー会社として紹介されることもある。当時の日本酒は冬季しか造らなかったため、年間を通して安定した売り上げを出そうと、1919(大正8)年にウイスキー、ブランデー、果実酒などの免許を取得。NHKの朝の連続ドラマ「マッサン」のモデルになったサントリー(当時、寿屋)も、23年に日本初の醸造所を竣工しているが、同社の方が古い。
とはいえ、当時の醸造所にはウイスキー造りに必要な蒸留釜(ポットスチル)がなかった。平石社長は「うちが売っていたのは、いわゆる『イミテーションウイスキー』だったと思います」と話す。
戦後の経済成長期を経て、約30年前のウイスキーブーム時には、一升瓶で年間100万本を売り上げた。生産拡大のため、84年に新醸造所を完成させる。