当初は同社が開発主体に決まっていたわけではなかったため、プロジェクトの大きさに比して人員は少なく、担当は開発部門の数人のみ。「数人でコンペの提案書をまとめていたので、いつも最後まで会社に残っていた」(北尾さん)という。
苦労のかいもあって09年、コンペを勝ち抜いた同社は都から開発主体である「特定建築者」に選ばれた。その後、チームも格上げされ、最終的には「虎ノ門ヒルズ開業準備室」となり、40人ほどの大所帯となった。
だが、チームの苦心は続く。着工を目前に控えた11年3月の東日本大震災だ。未曽有の大災害を目の当たりにしたプロジェクトチームは、防災面の強化の必要性を実感した。都市ガスと重油の両方で発電可能な非常用の「デュアルフューエルガスタービン発電機」を採用したほか、ヘリポートも拡充するなど、大がかりな設計変更を決断した。
だが、工期は決まっている。しかも、道路との一体開発のため、ビルの工期の遅れは道路の開通の遅れにつながる。「絶対に工期を遅らせることはできなかった。プロジェクトとしての質を高めながら、定められた工期におさめることが前提だった」。開業準備室の部長としてプロジェクトを指揮した大森みどりさん(現都市開発本部計画統括部施設計画部長)は振り返る。震災を教訓に、虎ノ門ヒルズはさらに強靱(きょうじん)な施設へと洗練され、チームの一体感も強まっていった。
14年6月、虎ノ門ヒルズは開業したが、「周辺にも複数の大規模開発を計画しており、虎ノ門ヒルズは『はじめの一歩』」(大森さん)にすぎない。