「カルピス」誕生の4年後、23(同12)年9月1日に東京を関東大震災が襲った。大きな被害を受けた東京で飲み水を求める人々に、三島氏は、冷たい「カルピス」を配って歩いたという。被災を免れた工場にビヤ樽(たる)で十数本あった「カルピス」の原液を水で6倍に薄め、それに氷を入れて冷やして配った一杯が、多くの人々に生きる力を与えた。
時代は昭和に移り戦時統制に入ると、「カルピス」のように嗜好(しこう)性の強い飲料は“平和物資”とみなされ、厳しい統制を受けた。41(昭和16)年に太平洋戦争が勃発すると、一般への生産を中止せざるを得ない状況になる。事態が深刻さを増していくなかで、「カルピス」が軍需物資として認定され、原料・資材の特配を受け、“軍用カルピス”を製造し、軍部に納入していた時代もあった。
45(同20)年の東京大空襲によって、本社のある渋谷・恵比寿の一帯は焼け野原と化し、製造設備や長年の研究記録、統計等の書類なども一夜にして焼失。終戦と同時に、「カルピス」はゼロからの出発をすることとなる。