大正8年生産開始の「カルピス」、最初は化粧箱に瓶入りの高級仕様 (2/3ページ)

2015.7.31 13:00

化粧箱に入った発売当時の「カルピス」=1919(大正8)年

化粧箱に入った発売当時の「カルピス」=1919(大正8)年【拡大】

  • “グラスに入れた「カルピス」を水で希釈して飲む”という文化が、時代を経て多くの家庭に浸透し、受け継がれている
  • 最初は「青地に白」の水玉=1922(大正11)年
  • 家庭向けの普及品として発売された赤紙包「カルピス」=1932(昭和7)年
  • 現在につながる「白地に青」の水玉の包装紙=1953(昭和28)年
  • 「天の川と広がり」をテーマにした紙容器=2004(平成16)年
  • 品質面の改良とエコ視点を取り入れた機能的なボトル=2012(平成24)年
  • 「カルピス」の創業者、三島海雲。内モンゴルで酸乳のおいしさと健康への効果を体験したことをきっかけに、日本での商品化に成功した

 「カルピス」誕生の4年後、23(同12)年9月1日に東京を関東大震災が襲った。大きな被害を受けた東京で飲み水を求める人々に、三島氏は、冷たい「カルピス」を配って歩いたという。被災を免れた工場にビヤ樽(たる)で十数本あった「カルピス」の原液を水で6倍に薄め、それに氷を入れて冷やして配った一杯が、多くの人々に生きる力を与えた。

 時代は昭和に移り戦時統制に入ると、「カルピス」のように嗜好(しこう)性の強い飲料は“平和物資”とみなされ、厳しい統制を受けた。41(昭和16)年に太平洋戦争が勃発すると、一般への生産を中止せざるを得ない状況になる。事態が深刻さを増していくなかで、「カルピス」が軍需物資として認定され、原料・資材の特配を受け、“軍用カルピス”を製造し、軍部に納入していた時代もあった。

 45(同20)年の東京大空襲によって、本社のある渋谷・恵比寿の一帯は焼け野原と化し、製造設備や長年の研究記録、統計等の書類なども一夜にして焼失。終戦と同時に、「カルピス」はゼロからの出発をすることとなる。

産経デジタルサービス

産経アプリスタ

アプリやスマホの情報・レビューが満載。オススメアプリやiPhone・Androidの使いこなし術も楽しめます。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

自分らしく人生を仕上げる終活情報を提供。お墓のご相談には「産経ソナエ終活センター」が親身に対応します。