金融バブルがはじけた1991年、証券業界の損失補填(ほてん)リストの公表は、経済界に波紋を広げた。株価の下落による損を、証券会社に内々に補ってもらった企業は、不公正だとして社会的に厳しい批判にさらされた。
その一社だった資生堂の福原義春社長(現名誉会長)は率先して記者会見に応じた。社会とのずれを認め、今後「チェック体制を作る」と確約して、企業イメージの失墜を辛くも防いだ。当初、広報担当者は社長が会見に出て火に油を注ぐことにならないかと危惧したが、結果は逆だったわけである。
福原社長はその4年前にも離れ業を演じている。流通段階にたまった過剰在庫の処理のため、増益見通しから一転して大幅減益になると突然発表したのである。化粧品業界をリードして不動の優良企業とみられていた資生堂がいきなり、12期連続増収増益の記録に終止符を打ったのだから、産業界を驚かせた。
福原社長は事情を詳しく説明するため、マスコミの取材を逃げずに受けた。「資生堂中心主義を抜本的に変える」という言葉を今でも覚えている。褒められた話ではなかったが、世評は「大英断」ということで落ち着いた。
決断できたのは、前社長が急逝して社長に昇格したばかりというタイミングを逃さなかったからである。長年の問題を解決するには絶好の機会といえた。経営陣の一員だった福原氏も、過剰在庫の責任がゼロとはいえないが、経営は結果である。
その福原氏の後輩に当たる前田新造資生堂前社長(現相談役)が今、東芝の社外取締役に就き取締役会議長になっている。利益水増し問題で社会的信用を損なった東芝で、資生堂の前田相談役が社長以下執行部の監視役を務めるとは、何やら因縁めいたものを感じる。