ただ、君島はWiiUの欠点を見抜いていた。リモコン式コントローラーを採用してヒットしたWiiだが、ソフト開発が難しく、ソフト会社の離反を招いていた。WiiUも液晶画面を搭載した独特のコントローラーを採用するため同じことが懸念された。楽しめるソフトがないとゲーム機も当然売れない。
君島は名称が似ていることも指摘。案の定、米国でWiiUは発売当初、Wiiとは異なる最新ゲーム機ではなく、単なる改良版と受け止められていた。米国でWiiUは深刻な販売不振に陥った。
予言は的中し、WiiUは岩田も認めるほどの大失敗に終わった。
岩田は、根に持つどころか、結果を見届けた13年に君島を経営統括本部長として本社に呼び戻し、重要案件を竹田玄洋、宮本茂、君島に相談するようになった。そしてスマートフォン向けゲーム発売に向けたディー・エヌ・エー(DeNA)との資本業務提携を決断。健康事業への参入や睡眠センサーの発売も決めた。
開発遅れの責任
番頭の役割を果たしていた君島は、岩田の早すぎる死によって社長を任されることになった。そんな君島に早くも試練が待ち受けていた。大阪での決算会見を無難に乗り切った翌日の10月29日、東京で開かれたアナリスト向け事業説明会でのことだ。
年内発売の方針だったスマホ向けゲームの発表が予想されていたためアナリストの期待は最高潮。君島が登壇し、開発中のスマホ向けゲームの紹介を始める。会場にどよめきが起きたのは次の発言が出たときだ。