
洋樽に熱処理を行う職人=宮崎県都農町の都農工場(有明産業提供)【拡大】
ジャパニーズ・ウイスキーが世界から脚光を浴びる中、洋酒づくりに欠かせないのが、「洋樽(ようだる)」だ。かつて国内には洋樽専業メーカーが4社存在したが、唯一生き残ったのが有明産業。1984年に参入した最後発メーカーで、一時は倒産の危機にひんした。立て直しへもがき苦しむ中、事業を継いだ創業者の孫、小田原伸行社長(39)が選択したのは洋樽を軸とした「原点回帰」だった。
◆赤字危機から復活
「有明さんの仕事は面白い」
京都府から2010年度、「知恵の経営」実践モデル企業に認証された頃だ。京都商工会議所を舞台に交流を深めた会社からこんな言葉をもらった。
当時専務だった小田原氏は洋樽業界を衰退産業と思い込んでいたが「強みが何か、に気づかされた」と振り返る。行き着いた答えは、本業の洋樽事業の強化だった。
小田原氏は「洋樽そのものを分かっていない」と思い、サントリー山崎蒸溜所(大阪府島本町)へ足しげく通い、一般見学者に交じって洋樽を学んだ。ただ、大きな壁が立ちふさがる。
洋樽を製造する宮崎県都農町の工場の職人らだ。売上高が約2億円まで落ち込み、赤字すれすれだった経営を立て直すには「これだけの売上高を目標にしましょう」(小田原氏)と職人らに呼びかけた。しかし、年齢が10~20歳も上の職人らは「そんなの無理」「給料に還元してくれ」と相手にしてくれず、無視する職人もいた。
気持ちが折れそうにもなったが、小田原氏は「祖父(故・俊雄氏)が創業した会社をつぶせない」という思いで入社した経緯もあり、事業の要となる職人らを口説こうと必死だった。
転機が訪れたのは、3年たった2013年の末。コーチングの手法を取り入れ、2泊3日の合宿形式で座学だけでなく、飲食を共にし、今後の方向性などを職人らと共有した。