
長田研自・I.T.Aシステム代表取締役社長(写真中央)【拡大】
□長田研自・I.T.Aシステム代表取締役社長
■「人生は自分で」の決意で監視システム界に飛躍
「男の生き方とは?と考えながら生きてきた」。母の手一つで育った原体験が生き抜く力を支えたものか。たどり着いたのが「自分の人生は自ら決める」という哲学。さまざまな業界を渡り歩いた半生は、一つ処に留まらないぞ、との決意の実践でもある。
1970年代のオイルショック時、就職リスクが少ないとされた金融機関に入社しながら「事務職は向かぬ」と1年で退職。「広告を見た人の人生を変えられる、他人の人生を創るのが魅力」の求人広告会社に。広告主発掘の営業職にハマり700人中、4年連続営業成績首位。自分の“武器”は「人が信頼してくれる営業力」と悟った。
この成功を擲ち、30歳で女性下着の訪問販売会社をつくるが失敗。護岸ブロックの型枠リースや土木資材販売など公共事業主流の会社に再就職し、今度は役所への営業攻勢で7年連続成績1位に。千葉などの営業所長を歴任し、社長秘書に抜擢されたが…。
「社長のために働く秘書役では自分のスタイルが出せない」とまた退職し、独立に再挑戦。カメラメーカー勤めの友人の示唆もあり、「これからは五感にかかわる商売。映像だ」と決意し91年、監視カメラを販売・設置する会社を起こした。千葉県内のパチンコ店約580店舗を飛び込みで売り歩く。「信頼の営業力」は1日にして成らず。「人生は自分で」の哲学に裏打ちされた、人一倍の努力が実を結び始めた。
だが1年後、約3000万円の不渡手形を抱える。脱力感とともに東京行きの電車に乗ると人生の転機が待っていた。「写真週刊誌の中吊り広告に何気なく目をやると、『高周波を使ってパチンコ台を誤作動させる不正行為が関西方面から関東に来る』という記事の見出しにくぎ付けになった。これだ!」。背筋に走る寒気。「高周波感知装置を作れば、売れる」