
さまざまなメーカーがPC開発を手掛けたことで1970年代にはキーボードも“多様化”した【拡大】
この後、HHKBの開発の経緯や歴史について語られた。先頭に立ったのは、HHKBのコンセプトの考案者である東京大学の和田英一名誉教授だ。
1970年代はさまざまな種類のPCがあって、おのおのの規格があり、規格が乱立していた。そんな中、最初にチャンスが訪れたのは92年だった。当時のPFU社長、二宮昭一氏から、同社発行の技術情報誌「PFU テクニカルレビュー(TECHNICAL REVIEW)」で巻頭言を書いてほしいという依頼が和田氏に舞い込んできたのだ。
◆10ページの「大論文」
本来、同誌の巻頭言は1~2ページ程度でよかったのだが、和田氏はなんと10ページにもわたる“論文”を書いてしまったという。「けん盤配列にも大いなる関心を」と題されたこの論文の内容はもちろん、当時のPCのキーボードについての考察だ。同誌のバックナンバーにはないが、この巻頭言は今でもPFUのサイトで閲覧できる。なぜ当時さまざまなキーボードがあったのか、キーボードはなぜこのような形をしているのか詳しく解説されているので、ぜひ一読してほしい。
論文の論点は、PCとユーザーをつなぐ重要な役目であるインターフェースは変わるべきではない、ということだ。当時、和田氏はSunのワークステーションを導入していたのだが、これを入れ替えるたびにキーボードの配列が変わってしまい、なかなかタッチタイピングができないという悩みを抱えていた。
ならばということで、論文の中で(1)使う計算機は固定し、他の計算機の場合はネットワーク経由で使う(2)キーバインディングを自分用に変更する(3)キーボードのコネクターを規格化し、自分のキーボードを持ち歩く(4)キーボードの最小共通部分を規格化し、そこだけ使うようにする-という4つの解決法を提唱した。言うまでもなく、和田氏とPFUがHHKBで目指したのは(4)であるほかない。