1963年に発売された三養ラーメンの最初のパッケージ。「明星食品株式会社と技術提携」と書かれている(三養食品提供)【拡大】
「日本からの技術導入は知っていた」と話した釜山市のスーパー経営の60代男性は「日韓の間には、政治的にはいろいろなことがあるが、人と人との関係にはいいこともある」と感想を語った。ただ、男性は無償で技術提供されたことは「知らない」と話した。
当時は世界最貧国、食糧問題解決策として
日本の明星食品から無償で技術提供を受け、三養ラーメンを開発したのは三養食品創業者の故全仲潤(チョン・ジュンユン)名誉会長(1919~2014年)だ。
三養食品のHPでは、インスタントラーメン開発を思い立った経緯をこう記している。
「今でこそ軽い食事としてインスタントラーメンは食べられているが、1963年に三養ラーメンが初めて登場したとき、国内はまだ空腹に苦しむ人が多かった。全会長は60年代初め、(ソウルの)南大門市場を通りがかった際、人々が、一杯5ウォンの残飯がゆを食べるために長い列をつくっていたのを目にし、庶民の空腹を解決しなければならないと決心した」
60年代初めの韓国の1人あたりの国内総生産(GDP)は100ドル台前半。2015年(2万7222ドル)の200分の1以下で、当時は世界最貧国の一つだった。三養食品によると、かゆは米軍部隊の残飯を使ったものだったという。現在の韓国からは想像もできない光景だ。
さらにHPは次のように続く。
「全会長はかつて日本を訪れたときにインスタントラーメンを食べたことを記憶しており、苦悩の末、食糧問題を解決できる唯一の道と考えた。政府を説得し、なんとか5万ドルを借り、日本の明星食品から機械と技術を導入し、ついに1963年9月15日、国内で初めてインスタントラーメンが発売された」
明星食品の技術提供は無償。そのうえ三養食品に重要な原料の配合表(レシピ)さえ教えた。