韓国初の即席ラーメン、明星食品が無償で技術提供 常識離れの交渉が実現した背景 (5/5ページ)

1963年に発売された三養ラーメンの最初のパッケージ。「明星食品株式会社と技術提携」と書かれている(三養食品提供)
1963年に発売された三養ラーメンの最初のパッケージ。「明星食品株式会社と技術提携」と書かれている(三養食品提供)【拡大】

  • 三養ラーメンの調理例(三養食品提供)
  • 現在の三養ラーメン
  • 三養食品名誉会長だった故全仲潤氏(三養食品提供)

 しかし、発売当初は「ラミョン」という言葉が耳慣れず、消費者の反応はよくなかった。このため、街頭で人々に無料で食べてもらうなどし、味を知ってもらった。

 また三養食品は当初、明星食品の製造技術をそのまま導入し、模倣するだけだった。しかし、日本と韓国の味の嗜好(しこう)が大きく異なっていたため、66年に実験室を発足させ、韓国式スープの開発を本格化させた。

 努力のかいもあって、60年代の売り上げは前年比で最低36%、最高254%まで伸びた。それでも設備投資などのために最初の3年は赤字だったが、三養ラーメンの人気は沸騰した。

 世界ラーメン協会によると、2015年の韓国の1人あたりのインスタントラーメン消費量は世界一の約70食。激辛味などさまざまな商品が発売され、いずれも50食あまりの2位のインドネシア、3位のベトナム、40食あまりの日本などを大きく引き離している。まさにインスタントラーメンが「国民食」になっている。

 三養ラーメンを主力商品にした三養食品(前身の三養工業時代などを含む)は、60年代から80年代中盤まで韓国の即席麺業界でシェアトップを維持していたが、86年に発売された農心(ノンシム)の「辛ラーメン」に押されるようなる。それでも三養ラーメンは定番として韓国人に愛されており、三養食品は現在でも業界3位に位置している。

 全氏は名誉会長だった2年前、亡くなった。94歳だった。

「何とかしたい」全氏の熱意に「男惚れ」

 戦前の韓国で生まれ、全氏と3回にわたって面談した元同志社大大学院教授の林廣茂氏(76)=マーケティング=は全氏について「人間的な魅力にあふれた人だった。国に対する思いが強く、韓国民の飢えを救いたいという思いにかられていた」と話す。さらに「当時の韓国の食糧難を何とかしたいという全氏の熱意に、明星食品の奥井氏も感動、いわば『男惚れ』し、原料、つまり最大の企業秘密であるスープの配合表まで教えたのだろう。全氏はインスタントラーメンという韓国の『国民食』をつくった偉大な人物だった」と評した。