
1963年に発売された三養ラーメンの最初のパッケージ。「明星食品株式会社と技術提携」と書かれている(三養食品提供)【拡大】
全氏の資金は5万ドルだったが、設備などの価格は、1千万円をわずかに下回る額で、ドル換算で2万6800ドルで決定したとしている。
三養食品によると、2人は初対面でありながら、古い友人のように意気投合したという。
回想では、全氏は工場で10日間の実習も受けたうえ、帰国の際、羽田空港で、インスタントラーメン製造に重要な原料の配合表(レシピ)までもらったと記されている。
一方、三養食品によると、羽田空港で全氏に、奥井氏の秘書を通じて渡された親書には、「数日間一緒にいて、全氏の清廉潔白で、良心的な経営人の姿を目にし、私たちの出会いに感謝する意味から原料配合表を伝える」と書かれていたという。
全氏は明星食品社史で「ここまでやって来られたのも、明星食品のおかげ」と感謝の言葉をつづっている。
日韓協力の先駆け、広がる「ラミョン」
この劇的ともいえる2人の出会いのおかげで、韓国初のインスタントラーメン「三養ラーメン」が出会いの年の63年に誕生した。初代パッケージには「明星食品株式会社と技術提携」と記された。韓国語のラーメンの発音は「ラミョン」。発売以降、この言葉は韓国に広まっていく。日韓が国交正常化したのは2年後。日韓協力の先駆けともいえるできごとだった。
ただ、軌道に乗るまで、さまざまな困難もあった。
三養食品によると、三養ラーメンの発売当時の価格は10ウォン。韓国では、コーヒーが35ウォンだった。一方、日本では、コーヒー60円、インスタントラーメン1袋35円程度の時代で、三養ラーメンの価格がかなり抑えられていることがわかる。奥井氏は「あまりに低い価格ではないか」と問うたが、全氏は「食糧難の韓国の状況では、だれもが腹一杯食べようとすれば、この程度の価格にするのが適切」と答えたという。