韓国初の即席ラーメン、明星食品が無償で技術提供 常識離れの交渉が実現した背景 (3/5ページ)

1963年に発売された三養ラーメンの最初のパッケージ。「明星食品株式会社と技術提携」と書かれている(三養食品提供)
1963年に発売された三養ラーメンの最初のパッケージ。「明星食品株式会社と技術提携」と書かれている(三養食品提供)【拡大】

  • 三養ラーメンの調理例(三養食品提供)
  • 現在の三養ラーメン
  • 三養食品名誉会長だった故全仲潤氏(三養食品提供)

 日清食品ホールディングスなど世界の即席麺メーカーが会員になっている「世界ラーメン協会」(本部・大阪府池田市)の櫻井功男(のりお)事務局長は「原料の配合表はスープなどをつくるのになくてはならないもので、企業のトップシークレット。同じ会社内でも、おいそれとは教えない。それを他企業に教えるということは今の常識では考えられない」と驚く。

羽田空港で伝えられた企業秘密「原料配合表」

 なぜそんなことが可能だったのか。全氏と明星食品の当時の社長、故奥井清澄氏との運命的な出会いが大きな原動力となった。

 その当時のことについては、昭和61年に刊行された明星食品の社史「めんづくり味づくり 明星食品30年の歩み」(引用は平成15年ゆまに書房発行の復刻版から)に、全氏の回想として詳しく記されている。

 この回想や、三養食品への取材を合わせると、韓国の食糧不足に危機感を抱いていた全氏は、昭和34(1959)年ごろ、日本でインスタントラーメンを試食し、「いつかこれを手がけてみたい」と考えた。そして三養食品前身の三養工業社長だった同38(63)年春、インスタントラーメンの機械の輸入や技術提携のために、日本を訪れる。しかし、日本で接触した即席麺の会社は、難しい条件や多くの金額を要求した。

 そんな中、全氏は、知人の紹介で、明星食品社長の奥井氏と会い、韓国の食糧事情を詳しく説明した。回想によると、面会の翌日、奥井氏からはこんな回答があったという。

 「全さん、全面的に協力しましょう。技術料はいっさい不要です。6・25戦争(朝鮮戦争)でお国はたいへんな災禍を受け、傷つかれました。日本は特需景気でもうけ、明星食品は直接その恩恵を受けたわけではありませんが、無関係ではありません。民間外交のつもりでやりましょう。技術料はもちろん、ロイヤルティも不要です。設備いっさいの引き渡し価格1千万円で結構です」

2人は初対面でありながら、古い友人のように意気投合