
元山一証券社員で、“新”山一証券社長の立川正人氏=東京都千代田区【拡大】
追われるように山一を去った立川氏だが、長い年月が過ぎたことで「(当時起きたことは)もはや過去の話。逆に、100年も続いた山一のブランドはすごいなという思いが強い」と語る。商号を山一証券に変えるにあたっては、山一の創業家やOB会「山友会」を回り了解を取り付けた。
会社は存続してこそ
かつて山一は「法人の山一」と呼ばれ、多くの上場企業を顧客に抱えていた。立川氏が率いる“新”山一は、国境をまたぐM&Aや非上場企業の事業承継に関するM&Aの助言業務に注力する方針で、「法人の山一のブランド復活に力を尽くしたい」と意気込む。
山一の自主廃業は、同じ97年11月に起きた準大手の三洋証券や都市銀行の北海道拓殖銀行の破綻とともに、日本の金融危機を象徴する出来事となった。関連会社を含めて1万人超いた社員は路頭に迷った。
立川氏は「会社がなくなると、社員の大半は不幸になってしまう。だから、存亡の危機では最終的に存続することが重要」と言葉に力を込める。現在のM&A助言業務にもそうした視点を生かしているという。(森田晶宏)