【兵庫発 輝く】伝統文化存続へ、菰樽の新たなニーズ創出 岸本吉二商店 (1/5ページ)

菰樽づくりの作業を進める岸本吉二商店の職人=兵庫県尼崎市
菰樽づくりの作業を進める岸本吉二商店の職人=兵庫県尼崎市【拡大】

  • 岸本敏裕社長
  • ミニサイズの菰樽

 結婚式やパーティーなど祝いの席で、酒樽(だる)の蓋を木槌(きづち)で割り中の酒を木枡(きます)で振る舞って喜びを共有する日本の伝統文化「鏡開き」。その酒が入った樽「菰樽(こもだる)」の最大手が岸本吉二商店(兵庫県尼崎市)だ。創業は明治30年代で、全国の酒蔵のため菰樽をつくり続けてきた。鏡開き文化が衰退しつつある現代でも、先進的な商品や取り組みで新たなニーズを創出している。

 鏡開きの衰退

 菰樽のルーツは江戸時代に遡(さかのぼ)る。国内有数の酒どころとして知られる灘五郷(神戸市と兵庫県西宮市)や伊丹(同県伊丹市)の酒を船で江戸に運ぶ際、稲のわらを織った菰を巻き緩衝材にした菰樽が用いられた。同社が拠点を置く尼崎市は灘五郷や伊丹に近く、菰の原料となるわらが豊富な地域だったことから酒蔵に菰を納入する農家が多かったという。

 そんな中、同社の創業者で現在の岸本敏裕社長の曾祖父にあたる岸本吉二氏が明治30年代に菰樽づくりを事業化。酒蔵から依頼を受け、酒の銘柄を印字した菰樽を納入するようになった。当時は大人数が集まる祝い事では鏡開きが頻繁に行われた。年末年始や選挙の際は菰樽需要が急増し、「荷師(にし)」と呼ばれる菰樽専門の職人が不眠不休で働き、年間で4斗(72リットル)の菰樽を5万個以上販売することもあった。

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