「暮らしを創る」企業理念を貫く 市川兄弟から始まった象印マホービン (2/3ページ)

象印マホービンの創業90周年を記念して本社ビル1階に開設された「まほうびん記念館」=大阪市北区
象印マホービンの創業90周年を記念して本社ビル1階に開設された「まほうびん記念館」=大阪市北区【拡大】

  • 他社製品を含む数々の魔法瓶製品を紹介する「まほうびんの森」コーナー
  • 象印の戦後第1号商品「ポットペリカン」
  • ゾウの商標をあしらったガラス魔法瓶の保温ジャー
  • 胴部に花柄をあしらった魔法瓶のポット
  • 電子ジャーの発売で家電業界に参入した
  • 象印のステンレス製魔法瓶の水筒第1号「タフボーイ」
  • 珍しい1964年東京五輪の記念水筒も展示されている
  • 兄の市川銀三郎
  • 弟の市川金三郎
  • 大阪企業家ミュージアムで市川銀三郎を紹介したコーナー=大阪市中央区

 ゾウの由来は?

 兄弟は下請けの中瓶製造にとどまらず、12年に初めて自社製品第1号の魔法瓶を完成、量産化に乗り出した。「当時は英仏の植民地として欧州人が多く暮らしていた東南アジア向けなどへの輸出が中心のため、現地で神聖な動物とされ、生命力が強く寿命の長いゾウが商標に選ばれた」と、象印で周年事業事務局長を務める樋川潤・経営企画部チーフマネジャー。

 その後、弟の金三郎は大正末期に始まったラジオ放送で注目された真空管の製造に夢をはせて上京。兄の銀三郎は大阪で魔法瓶専業に励み、先の大戦の混乱期を経て、長男の重幸とともに事業の復興に当たった。

 重幸は「本当の魔法瓶の使い方は家庭で使う卓上型ポットにある」と開発に取り組み、昭和23年に戦後第1号商品「ポットペリカン」を発売。銀三郎は「お前の好きにしたらええ」と、重幸ら若い世代に、暮らしに根ざしたものづくりを任せるようになった。このポットペリカンも記念館に展示されている。

 魔法瓶の卓上型ポットはメーカー間で熾烈(しれつ)な開発競争が続き、ハンドルを握ったまま親指で蓋を開けられるワンタッチ式や、レバーやボタンを押すだけでお湯を注げる機能、内部のお湯の量が見えるタイプなどが次々と登場。魔法瓶の水筒もレジャーなどの普及で一般的に用いられるようになったが、ガラスの中瓶を使ったものは衝撃で割れて中身がこぼれることもあり、ステンレス製のボトルが競合他社から発売された。

 象印は保温力がガラス製より高いステンレス製の開発に取り組み、昭和56年に「タフボーイ」として発売。水筒がステンレス製に移行する原動力となった。

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