当時、術後まもない患者が死亡したのは、和田移植だけではなかった。海外でも次々に死亡例が報告され、移植医は数多くの訴訟を起こされた。それでも欧米では心臓移植を続け、移植臓器に対する患者の拒絶反応を抑える免疫抑制技術の向上とともに医療として確立していった。
「欧米では裁判や学会の場で、失敗も成功もしっかり検証していたことが大きい」。米国で多数の臓器移植を手がけてきたコロンビア大教授の加藤友朗(ともあき)(50)はこう指摘する。
一方で日本の医学界は、和田移植の疑惑にふたをした。東京女子医大名誉教授の小柳仁(77)は「学会は和田移植をめぐる問題を検証しようとしなかった。それは医学の敗北だ」と話す。
結果、脳死下の移植はタブー視され、やむを得ず海外で移植する患者が相次ぐことになる。脳死移植を認める臓器移植法が施行されるまで30年近くかかった。
「患者第一の医師」
馬原は、札幌医大時代の和田の姿が今も脳裏に浮かぶという。昔ながらの長袖白衣とは違う白い半袖上着に白ズボン。白い靴。米国の医療ドラマ「ベン・ケーシー」の登場人物のように廊下を闊歩(かっぽ)していた。