和田は北海道大医学部を卒業し、終戦5年後の昭和25年に米ミネソタ大へ留学。29年、海外の最新医療を学んだ気鋭の外科医として、創設5年目の札幌医大に迎え入れられた。
当時の医師にとって普通だったサンダルではなく靴を履いていたのには理由があった。「ペタペタと音をさせると寝ている入院患者が起きてしまう。静かに急いで動くために靴を履け」。馬原は和田にこう言われたことがある。
「和田先生は常に患者を第一に考えていた。田舎の医師が功名心に駆られ、心臓移植をしたという批判は違うと思っている」
結局、疑惑の数々を残したまま、和田は平成23年2月に88歳で死去。亡くなる直前に日本胸部外科学会の広報誌に寄せた手記にはこう書いている。「今でも良い手術を行ったと思っている」=本文敬称略(豊吉広英)