【ノーベル物理学賞】「われ一人、荒野を行く」 孤高の精神を貫いた赤崎さん (1/2ページ)

2014.10.7 20:54

学生と実験する赤崎勇氏=2011年(名城大提供)

学生と実験する赤崎勇氏=2011年(名城大提供)【拡大】

  • 研究室のメンバーから花束を受け取る名城大学・赤崎勇=7日、名古屋市天白区の名城大学天白キャンパス(撮影・森本幸一)
  • スウェーデンの王立科学アカデミーがノーベル物理学賞の授与を発表し、スクリーンに映し出された(左から)赤崎勇・名城大終身教授、天野浩・名古屋大教授、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授=7日、ストックホルム(AP)
  • 2006年10月、名古屋大の「赤崎記念研究館」に設置された大型LEDディスプレーの前で記念撮影に納まる、赤崎勇名誉教授(中央)ら=名古屋市千種区
  • ノーベル物理学賞に決まり、記者会見に拍手で迎えられる赤崎勇・名城大終身教授=7日夜、名古屋市天白区の名城大
  • ノーベル物理学賞に決まり、記者会見する赤崎勇・名城大終身教授=7日夜、名古屋市天白区の名城大

 青色発光ダイオード(LED)の開発でノーベル物理学賞の授与が決まった赤崎勇氏(85)。世界中の研究者が見切りをつけた窒化ガリウムにこだわり続け、不可能といわれた高品質の結晶づくりに成功し、半導体光源の新時代を切り開いた。強い信念に基づくその生きざまを支えたのは、「われ一人、荒野(あれの)を行く」という孤高の精神だった。

 赤崎氏がLEDの研究に本格的に着手したのは松下電器産業(現パナソニック)に入社した9年後、同社東京研究所に在籍していた昭和48年のことだった。光の三原色のうち赤色と緑色のLEDは既に実用化され、残る青色の激烈な開発競争が世界で始まっていた。

 当時、青く光る可能性がある物質はセレン化亜鉛や窒化ガリウムが期待されていた。ただ、窒化ガリウムは電気的な性質の制御に必要な高品質結晶を作るのが非常に難しく、「本命はセレン化亜鉛」との考え方が世界の主流だった。それでも赤崎氏は、窒化ガリウムにこだわり続けた。

産経デジタルサービス

産経アプリスタ

アプリやスマホの情報・レビューが満載。オススメアプリやiPhone・Androidの使いこなし術も楽しめます。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

自分らしく人生を仕上げる終活情報を提供。お墓のご相談には「産経ソナエ終活センター」が親身に対応します。