
個人通算50勝目を逃し引き揚げる高梨沙羅=21日、山形市クラレ蔵王シャンツェ【拡大】
1984年ロサンゼルス五輪女子200メートル平泳ぎで、同じく4位になった長崎宏子さんを思いだした。16歳(当時)の少女は「水泳ニッポン」復活の期待を一身に背負わされた。
3姉妹の母親となった長崎さんはソチ五輪の期間中に連絡を入れると、次のようなコメントを寄せてくれた。
「娘たちが『沙羅ちゃん、(写真で見た)ロスの時のママの顔に似てる』と言うんです。それもあって、応援していました。だから、涙が止まらなくて」
冬夏の違いがあるとはいえ、オリンピアンとして30年前の自分と重なり、高梨と同じ世代の子供を持つ母親でもあるだけに、涙腺が緩むことを抑えきれなかった。
スイミングスクールの指導へ行くと、中年の男性に声をかけられた。
「先生がオリンピックに出たとき何歳でしたか」
「16歳です」
「4位でしたよね。今、日本中で沙羅ちゃんの気持ちが分かるのは先生しかいないんじゃないかな」
まさにその通り。この中年男性が指摘するように、長崎さんに遠くて近い表彰台について聞いてみた。