トラクターの歴史を抜きに人類史は語れない 農業とは別、世界が求めた「裏の顔」 (2/8ページ)

 そんな状況を打開するために、いくつかの科学技術が用いられた。一つは、毒ガスである。ドイツは、窒息剤であるフォスゲンや、糜爛剤であるマスタードガスなどの毒ガスを開発し、敵の塹壕に向けて放った。毒ガスは兵士たちの戦意を喪失させるばかりでなく、呼吸を止め、皮膚を爛れさせた。

 戦車もその一つであった。まず、イギリス陸軍工兵中佐アーネスト・スウィントン卿(1856~1951)が開発を試みた。彼は、西部戦線で物資運搬に利用されていたアメリカのホルト社の履帯トラクターからヒントを得た。ホルト社は、すでに述べたように、キャタピラー社の前身の一つにほかならない。これを戦場用に改造したものを投入すれば、塹壕を踏み越え、湿地帯も多かった西部戦線を突破できるのではないか。スウィントンはそう考えたが失敗に終わる。代わりに戦車開発の主導権を握ったのが当時海軍大臣だったウィンストン・チャーチル(1874~1965)であった。チャーチルは、海軍航空隊の提案である空港警備のための「陸上軍艦」開発の提案を受け、1915年2月に陸上軍艦委員会を設立し、開発が始まった。

 幾度もの失敗を経て、イングランドのリンカーンにある農機具メーカーのウィリアム・フォスター&カンパニー社が105馬力の試作品「リトル・ウィリー」を製作する。ダイムラー社のエンジンを搭載し、農業用トラクターとそれほど変わらない車体を装甲したものであった。さらに開発が進み、最終的に、世界初の戦車マークIが49台投入されたのは、1916年10月20日、ソンムの会戦であった。

 その後、兵器産業のシュナイダー社が制作したフランスのシュナイダーCA1も、1917年4月16日のシュマン・デ・ダームの戦闘で132台投入されている。これもホルト社のトラクターをヒントにフランス陸軍大佐のジャン・エスティエンヌ(1860~1936)が発案したものであった。実際、シュナイダーCA1はホルト社のトラクターのシャーシをそのまま流用している。

 戦時の運搬力もまた、馬からトラクターへ移行していく。第一次世界大戦後には軍事用トラクターがつぎつぎに開発される。たとえば、「セクシー」な小型トラクターを量産したアリス=チャルマーズ社も軍事用トラクターを生産している。

コードネーム「LaS」、ドイツの再軍備計画