トラクターの歴史を抜きに人類史は語れない 農業とは別、世界が求めた「裏の顔」 (7/8ページ)

 以上の意味で、トラクターと戦車はいわば双生児であり、ジーギル博士とハイド氏のようにドッペルゲンガー(二重人格)の機械であったということができよう。旧約聖書のイザヤ書には「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」とあるが、トラクターの登場によって、剣は鋤に、鋤は剣に自在に変化する時代が到来したのである。

 ヒトラーとスターリンのはざまで

 世界に誇るランツ社を擁し、「フォルクストラクター」を開発していたナチス・ドイツと、他方で急速にトラクターを輸入し、自国産でトラクターの生産ができるようになったソ連は、文字どおり、20世紀前半の世界政治の台風の目であった。

 1939年に独ソ不可侵条約を結び、両サイドからポーランドを攻め、領土を分け合ったことは世界を驚かせたが、しかし、結局、反共を党是とするナチ党独裁のドイツは、ソ連に戦争を仕掛けることを避けられなかった。ちなみに両国とも、占領地開発のためにトラクターを輸出している。

 1941年6月、独ソ戦が始まる。初めはドイツ軍が圧倒していたが、次第に赤軍に押し返される。その転換点となった戦いが、1942年6月から翌年2月までのスターリングラードの戦いであることはよく知られている。当時、スターリングラードはソ連の重工業進展の中心であった都市で、ここにはスターリングラード・トラクター工場があった。この工場は、トラクターだけでなく、ソ連軍を代表する中戦車T-34の半分近くを生産していた。また、一連の戦闘のなかでももっとも激しい戦闘が、このトラクター工場をめぐる戦いであり、戦闘でトラクター生産はストップした。

 また、ドイツ軍は、ソ連との戦争のなかで、ソ連製トラクターならびにコルホーズと出会ったことも世界史的に重要である。たとえば、ドイツ軍は、独ソ戦時に、スターリニェツトラクターを多数鹵獲し、農軍両用に使用している。

 コルホーズについては、ドイツ史家永岑三千輝がその先駆的な研究でつぎのように述べている(『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆』『独ソ戦とホロコースト』)。独ソ戦開始後6週間ですでに、ドイツはコルホーズのようなソ連式の経済システムを打破するという従来の路線が揺らぎ始めた。機械トラクターステーションの農業機械が敗退した赤軍によって持ち去られたり、破壊されたりしている現実が、既定方針の再考を迫ったのである。また、トラクターがあっても燃料がない。機械がないので、現地の農民たちは古い農具を持ち出して、自助の精神で農作業を始める。つまり、スラブ人を劣等人種だと見下し、反共産主義を党是としたナチスも、これ以上破壊を進めるよりもコルホーズを温存して再建する道が手っ取り早いと考えたのである。

飢餓を「輸出」する事態に