幻の「出石鉄道SL」、原寸大段ボール模型で復元へ 新たな観光資源となるか (2/4ページ)

出石鉄道の蒸気機関車「6号」(豊岡市商工会青年部出石支部提供)
出石鉄道の蒸気機関車「6号」(豊岡市商工会青年部出石支部提供)【拡大】

  • 段ボールを使った蒸気機関車復元に挑む青年部会員ら=豊岡市出石町
  • 出石鉄道で活躍した蒸気機関車「6号」の4分の1サイズの段ボール模型

 こうして昨年夏頃、ようやく設計図作製にとりかかった。「問題点をあらかじめ抑えておく」ために、実物の4分の1の段ボール模型製作にも挑み、年末までに両方を完成。今年1月半ばから原寸大模型の製作を本格化させた。

 悲運の鉄道

 軽便(けいべん)鉄道(一般の鉄道より規格が簡便な鉄道)の出石鉄道は、大正8(1919)年に会社が設立された。しかし、最初から苦難の連続だった。同支部が資料収集のため話を聞いた郷土史家の中村英夫さん(70)によると、発起人は78人だったが、その後の不況で出資していた投資家らが逃げ出してしまったという。

 資金難に陥る中、鉄道敷設を願う出石町民らが「われもわれも」となけなしの金を差し出し、株主になった。その数、2063人。資本金50万円、建設費69万9千円で路線工事に取りかかり、10年後の昭和4(1929)年7月、出石-江原(現豊岡市のJR江原)間11.2キロがようやく全線開通した。

 当時の新聞には「十年間の苦労が報いられ わき返る出石町」という見出しや、「汽車の窓から鶴(コウノトリ)が見られる」などと記した同乗記が載り、町民挙げて開通を祝ったという。

 だが、「短命、悲運の鉄道」(中村さん)だった。全線7駅、片道約30分の区間を1日6~9往復していたが、台風や大水で2回にわたって円山川を渡る鉄橋が流失。全線営業が約3年間できなくなり、赤字が続いた。

 さらに復旧直後の昭和18年12月、国家総動員法に基づく「不要不急線」に指定されたことで、翌19年5月に運行休止となり、戦時下の金属供出で線路が撤去された。

復活運動も起きたが…