祖先のモーリシャスへの移住体験を見つめ「楽園の喪失と回復」を一つのテーマに据えた3部作について、講演の聞き役を務めた中地義和・東京大教授が指摘したのは「修復」というキーワードだった。現実の生活で失われたものを、修正し、補う…文学的な試みである、と。ル・クレジオさんもその考えに同意し、「記憶が現実の欠如を埋め合わせてくれる。そういう姿勢で私は書く」と応じた。
歴史の痕跡上に
デビュー作の出版から半世紀がたつが、20代で書いたエッセー『物質的恍惚(こうこつ)』(岩波文庫、豊崎光一訳)には、すでに〈ぼくは他人たちの考えでもって書く〉〈あらゆる文学は何かべつの文学の模作(パスティーシュ)にすぎない〉という興味深い記述が出てくる。特権的な「私」を解体し、神話の次元にまでさかのぼり、言語が持つ共有性に目を向ける-。語りが熱を帯びたのは、そんな深遠な小説論に差しかかったときだ。