【早坂礼子の経済ウォッチング】ニッポンコーヒー戦争
米ハワイ島コナに、ニューヨーク・ウォール街の金融マンからコーヒー農家に転身した日本人がいる。なぜコーヒー栽培を始めたのか、将来展望は-。
ウォール街から農園主へ
山岸秀彰さんは 米エール大でMBA(経営学修士)を取得、1998年に35歳で農林中央金庫のニューヨーク支店から米メリルリンチ証券の本店へ移った。終身雇用の邦銀からの転職は勇気が必要だったが、成功の予感があった。
当時の日本は低金利で株価上昇も見込めないバブル崩壊の低迷期。機関投資家は何に投資をしたら良いのか探しあぐねていた。さまざまな金融商品に分散投資して高収益を求めるヘッジファンドに興味はあってもどこが信頼できるのが調べる術がなかった。
日本の投資家にヘッジファンドを売り込む業務は瞬く間に成長し、39歳でManaging Director(取締役)に昇進した。若いうちに多様な業務を経験する邦銀での経験を生かし、セールスのほか運用、事務、経理、財務、法務などバックオフィス業務も担当。ウォール街で生き残るため連日夜中まで働いた。