もちろん平社員からのスタートだった。「メーカーなんだから、現場に入らなあかん」という昭さんの方針で、仕事は工場から始め、切れた糸のつなぎ方、機械の油の差し方から教わった。
1年で工場仕事から検品に配置換え。検品で商品の特徴を覚え、続く営業では取引先との関係を学んだ。
専務となった矢先に昭さんが亡くなり、工場の主力で2・5重タオルの開発も手がけた40代の男性従業員も病死し、不幸が続いた。波乱のなかでの社長就任だったが、会社を支えてきた他の従業員たちも懸命に働き、滞りなく営業を継続できた。「よく動いてくれ、本当に助けられた」と感謝は絶えない。
苦境のタオル業界
今のタオル業界は、安い中国を中心に海外製が市場の約8割を占め、国内メーカーにとっては苦境が続いている。大阪タオル工業組合全体の生産量も平成4年の4万トン超から27年は5分の1近い8202トンにまで減った。
そのなかで、国内メーカーは海外製に対抗するため独自技術を生かした高品質なタオルを生み出し、愛媛県今治市の「今治タオル」、大阪の「泉州タオル」とブランド化を図り、巻き返しを期している。
神藤タオルも、そんな市場を生き残るためインナーパイルや2・5重タオルを独自展開してきたのだ。