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「ただ生きる」のではなく「よく生きる」
この思考実験からグラウコンは「正義は、個人にとって善いものではない」と結論づける。彼に言わせれば、透明ならざる人間は、やりたいようにはできないから、しぶしぶ正義に従っているにすぎないのだ。
『国家論』では、この後に、ソクラテスの反論が展開される。要旨だけを述べれば、不正や悪徳を働く生き方は、魂がかき乱されるのだから、決して幸福な人生とはいえない、というものだ。
では、ソクラテスやその弟子であるプラトンにとって、幸福な人生とはどのようなものか。
それは、理性を用いて、善の何たるかを知り、富や名誉、食欲、性欲などに振り回されずに生きることだという。別の著作でソクラテスは言っている。<大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということなのだ>(『クリトン』)と。
自分の見たいものしか見ない現代社会
ソクラテス、プラトンを嚆矢として、西洋の哲学者たちは、長らく理性的に考え、生きることの重要性を説いてきた。だが、それは裏を返せば、多くの人間が理性的に生きていないことを示すものだろう。理性的な人間がマジョリティならば、わざわざ理性の大切さを訴える必要はないのだから。
私たちが生きる現代社会はどうだろうか。多くの識者が指摘しているように、ネット社会が人々を視野狭窄にしている側面があるのはたしかだろう。政治学者の片山杜秀氏は、平成史を振り返る連載のなかで次のように語っている。