おびただしい米国青年の血と引き換えに、大東亜戦争の対日上陸戦で学習した米軍。今でこそ、水陸両用戦における日本の「師」でもあるが、揚陸艦は世界に先駈け、大日本帝國(ていこく)陸軍が海軍の支援を受け極秘で建造した。艦名を「神州丸=満載排水量8160トン/全長144メートル」と「あきつ丸=9433トン/全長152メートル」という。船体内の甲板を全通させ、ここに上陸用舟艇を格納。艦尾に捕鯨母船のように門扉と発進スロープを設けて、タンクに注水して艦尾を下げ、舟艇を海面に発出できた。揚陸艦内にあるドック式格納庫に注水し、艦尾を下げて艦外にエア・クッション型揚陸艇(ホバークラフト)を進水させる現在のウエル・デッキ(ドック)構造に発想は似ている。航空機運用機能保有と合わせ、強襲揚陸艦の要件を満たしている、という言い方もできる。
第一次上海事変の戦訓
実際、第二次世界大戦(1939~45年)中、初期の揚陸艦建造に係(かか)わった米英の技術者は、支那事変の杭州湾上陸作戦(昭和12=37年)や翌年のバイアス湾上陸作戦で投入された神州丸を撮影するなど、神州丸の設計・性能情報入手に全力を挙げた。