神州丸竣工(しゅんこう、昭和9=34年)を後押ししたのは第一次上海事変(32年)における上陸作戦の戦訓だった。上陸時間が長く、奇襲効果がその分薄れた点が課題になったのだ。既に大正末期、最大で完全武装兵員70人か物資11トンを載せる長さ14.8メートルの上陸用舟艇は配備していた。ところが、外洋航行はできず、上陸地点沖までは民間貨物船と大差ない母艦による運搬を強いられた。上陸前には、上甲板上の舟艇をクレーンで着水させ、兵員は舷側に垂らした縄ばしごを伝わり乗艇。兵器や軍馬もクレーンで舟艇内に降ろした。時間がかかるだけでなく、荒天時の任務遂行が困難だった。対米開戦ともなれば、米軍拠点フィリピンの攻略は失敗が許されぬ関門。難度は中国戦線の比ではなかった。
その点神州丸は、船体内の格納庫より艦尾に設けた観音開きの門扉まで荷台を滑らせるレールが敷かれ、天井のワイヤーとともに物資・兵員はじめ、戦車まで舟艇に載せたまま、連続して送り出せた。格納庫側面=舷側の大型ハッチから、クレーンによる舟艇の着水も可能にした。船体内だけでなく最上/上甲板などの搭載舟艇を合わせると、最大58隻を数えた。
上甲板上の格納庫には戦闘機/軽爆撃機/偵察機を12機収容。パチンコで石を飛ばす原理に似た射出機=カタパルトで、離艦のみができた。