神州丸の戦果に、陸軍はあきつ丸建造を決め、42年に竣工した。特徴は、航空母艦を想(おも)わせる全通飛行甲板。飛行甲板後端のエレベーターで、船体内の格納庫より一部航空機を飛行甲板まで上げた。上陸部隊への航空支援を実施するためで、中型機なら30機近くを輸送できた。
息づく帝國陸海軍の発想
一方、連合軍側の揚陸艦の運用はどうだったのか。米軍の場合、大東亜戦争前の39年にヘリコプターの初飛行を成功させ、対潜水艦哨戒などに活用した。ただし、船団護衛に使った護衛(小型)空母を改装してヘリ空母として揚陸艦的任務を担(にな)わせたのは朝鮮戦争後の55年。ドイツ軍によるフランス占領などを受けた英軍が、欧州大陸上陸と独軍機甲部隊への対抗上、直接海岸に乗り上げる(ビーチング)戦車揚陸艦を考案したのが第二次大戦中の41年、実戦投入は米軍による43年のソロモン諸島上陸戦だから、帝國陸海軍による初期のドック型揚陸艦建造はパイオニアと言い切れよう。
しかも、ドック型揚陸艦は進化を続ける。片や外洋航海能力に乏しく、地球上の15%の海岸にしかビーチングできない戦車揚陸艦は米海軍など海軍先進国では姿を消したか、消す運命にある。帝國陸海軍の発想自体は間違いではなかった。