29年2月3日夜、節分の豆まきを終えた外務省職員・室井正三(故人)は窓を閉める際、電柱の陰から口笛を吹く人影を見た。妻(65)に「タバコを買う」と言って出た。後ろから肩をたたかれ振り向くと、中国系の男が「自殺しろ」と、低い露語でつぶやき走り去った。ラストボロフの運転手だった。2日前、代表部は「ラストボロフは、在日米諜報機関に拉致された(実は亡命)」と発表。とっさに、口封じのため「消される」と感じた。妻は回想する。
「翌日の夜10時、真っ青な顔の主人に打ち明けられ愕然とした。バッグに下着や通帳を詰め、アパートの住人に悟られぬよう素足で階段を下り、上野駅近くの旅館に隠れた。4回目の結婚記念日だったが一晩中、逃げるか自首するかを話し合った。結局、翌日に自首した」
20年近く経った昭和48年、室井はモスクワ行き機内で謎の死を遂げる。当時、自民党親ソ派の大物代議士らの推しで、ソ連の石油開発を手掛ける会社の常務になっていた。乗り合わせた新婚旅行中の医師(55)=取材時は大学教授=が駆けつけると「脈がなく、呼吸が止まり、瞳孔が開いていた」。