その中にアルベール・ティボーデという人が分類したレクトゥールとリズールの違いについてというのがあって、レクトゥールというのは普通の読者、つまり「小説に娯楽、清涼剤、日々の生活のちょっとした休息、そういうものしか求めない。この人たちは忘れっぽく、その読書は絶えず新しいものに走り、自分の生活の素材や本質には大して影響しない」。一方リズールは精読者で「文学というものが仮の娯楽としてではなく本質的な目的として実在する世界、すなわち人間の他の諸種の人生的目標と同じ深さをもって全人間をとらえうるものとして存在する領域において選ばれている人たちである」というものだ。木村氏が自らをリズールと称するわけもなく、そうした素養が翻訳者には必要だと述べているのだが、私にとってこのリズールというのが大変に羨ましいというか、自らが情けないというのか、私が敬愛する作家は総じてリズールであって、素晴らしい書き手であると同時に、読み手としての達人でもある。ボルヘス然り。澁澤龍彦然り。
精読者への嫉妬もいつか…
レクトゥール的私は少年時代の読書へ記憶の糸を伸ばしてみるのだが、何処まで行っても曖昧模糊(あいまいもこ)とするばかり。