こういう青山のことを、白洲正子はずっと「ジィちゃん」と呼んでいた。さすがに白洲はこの異能者のクセとアジを読みとっていて、『いまなぜ青山二郎か』(新潮社)にその一部始終を綴ってくれた。必読だろう。必読だが、それで青山二郎がわかったなどとは思わないほうがいい。
青山は鉄斎のような酔狂な画人が大好きだった。とくに贋作がやたらに多い鉄斎を見ては、ほくそ笑んでいた。もともと書画骨董は贋作だらけだが、そこを覗き込んでいるうちに「眼の哲学」もできあがるからだ。
【KEY BOOK】「眼の引越」(青山二郎著/中公文庫、1300円、在庫なし)
初めて青山二郎を読む者は、本書のなかの「富岡鉄斎」「小林秀雄」「バッハの音楽」を読みくらべるといい。青山が何に慎重になり、何に対して大胆不敵になり、何から学ぼうとしているかがわかる。本書の解説はぼくが書いている。青山二郎は「もとをとる」とは何かを見抜いた男だったということを解説した。どういうふうにもとをとったのか。青山は自分ではたいたものを、自分の眼に戻してもとをとったのだ。これが「眼の引越」という意味である。