可愛く誇らしく、みんながキャーキャーいう対象ではなく、「あーあ」という後ろめたい感情。「郷土愛に溢れるが故に、いろんなものを盛り込みすぎて、説明されないと何がなんだか分からなくなってしまった」キャラクターたち。しかも、それが「着ぐるみになったときの不安定感が何とも愛らしく」、みうらは見ていると心癒やされたらしい。
ところがどうだろう、当初みうらが心癒やされていた、ちぐはぐな不均衡さという意味での「ゆるさ」は、一般的な意味での「癒やし」へと取って代わられた。『ゆるキャラ論』(3)に収録されている彼へのインタビューでも、「最近の『ゆるキャラ』はあまり知りません」と答えている。ましてや、みうらの初期衝動にあった「八百万の神というキャラクターをつくりあげた日本が古来から持つセンス」の延長線上に、現在の「ゆるキャラ」たちを捉える人はもうどこにもいない。
大きな広告代理店や、潤沢な予算を確保した仕掛けによって、すべてのキャラクターが(「ゆるキャラ」であってもなくても)制御された制作物の域を出ることがなくなった。みうらが愛したいびつな不完全さや、ばかばかしいことを真剣にやる狂気にも似た熱がにじみ出るキャラクターはどんどん少なくなってきている。