中国軍機は出雲の弾幕に怖(お)じ気(け)づき、せめて既成事実を残そうと高高度から《推測爆撃》。結果、風や慣性により租界に落ちた可能性すらある。天候不良だったとはいえ、英米海軍の巡洋艦まで攻撃し、しかもこちらも命中していない。誤爆・事故は《8月14日》以降も続発。米国人参謀長は「万策尽きた。パイロットたるや、ぎこちない動きで次々に出てくる射的場のアヒルだ」と嘆いている。
無傷の出雲は国内外の新聞報道で脚光を浴びたが、出雲は奇しくも33年前の同じ《8月14日》、国内外で称讃される武勲と武士道を打ち立てている。
1904年のこの日、日露戦争・蔚山(ウルサン)沖海戦において、出雲を旗艦とする第二艦隊がロシア巡洋艦リューリクを撃沈した。リューリクはじめ露艦隊はその2カ月前、降伏を拒んだ兵員輸送中の帝國陸軍徴傭(ちょうよう)運送船3隻を撃沈・大破させていた。戦死者は1334人にのぼり、補給航路防衛を担う第二艦隊司令長官・上村彦之丞(かみむら・ひこのじょう)中将(後に大将/1849~1916年)は、国民の激憤の矢面に立たされた。